平 清盛― 神戸市兵庫区切戸町 ―
清盛塚 平相國は、一代の強固に築く「経ヶ島」、福原京の、古の輪田の泊もにぎわいき、ふれふれ、神戸市民。
この歌は、昭和8年頃神戸市民歌として、港まつりの歌と共によく歌われたものである。さてこの歌に登場する人物平相國とは誰だろうか、それは「平清盛」のこと。
平清盛は、1118年(元礼1年)~1181年(養和1年)の間活躍し、64歳で亡くなった。常に「権力と地位」をものにして、「奢る平家は久しからず」、「平家でないものは人でない」と言う言葉があるように、極悪人視されているが、神戸にとっては、魅力のある人物ではなかろうか。彼の望みは大きく、半年間あまりであるが、福原京を神戸に定めたこと、また、大輪田の地に経ヶ島(築島)を築き、泊を改修し、日宋貿易を盛んにしたことなど、政治家として高く評価される。
しかし、またその一面、歴史上で考えねばならないこともある。日宋貿易は、父忠盛から盛んであったが、それを清盛が引き継ぎ、莫大な利益を得ていること、また自分の娘(徳子)17歳の時、6歳下の高倉帝に嫁がせ、その子(清盛からは孫)安徳帝を生ませた。
このような平家は、世の常として、奢るものは亡びの定義により、孫安徳帝の悲劇で、平家滅亡を生じたのである。今では、一面、権力と地位をもとにして、横暴で、ワンマンの政治家とも伝えられている。しかし、その反対に、良い人柄の一面も持っているような気もする。いろいろな困難をのりこえて都を出て、福原京へ遷都し、九州で軍勢を整えて、再び福原の兵庫に戻ってくる清盛の性格がうなずける。これらをみても、わかるように如才のない政治家だったような気がする。
なお、名将言行録には、清盛はみずから、従一位太政大臣にのぼったほか、平家一門を高官につかせ、領地も天下の半ばを持ちとった。権力と地位で栄華な暮らしを送って、64歳でこの世を去ったと書かれている。
文:豊田 實





































