舞子砲台跡― 神戸市垂水区東舞子町 ―
砲台跡石碑 舞子公園西端の壁際に史跡舞子砲台跡の碑がある。
将軍巡視のあった文久3年(1863)4月23日の2日前の21日、将軍に随行していた老中水野和泉守は明石藩の友部権六を宿に呼び、明石藩に対し明石海峡の防備を強化するため舞子西浜に砲台を築くよう、上意を書面で伝えたとの説がある。大阪湾への入口にあたる紀淡海峡と明石海峡の諸藩は幕命により臨海部で砲台の建設が命じられた。舞子砲台は文久3年舞子海岸に勝海舟の指導により家老、織田安芸が主幹となり、本格的な要塞で稜堡式築法により築かれ、砲台は高さ6mの石垣が積まれ完成した。現在は石垣の一部が残るのみである。
砲台跡公園 当時神戸の塩屋付近まで領有していた明石藩は、東の垂水村丘上砲台から西は松江砲台まで海峡に面して12砲台を築いた。
舞子砲台もその一つであるが、他の砲台は土塁を囲んだだけの簡単なものであった。
昭和5年に(1930)建立された石碑があり公園として整備されている。
※JR「舞子駅」・山陽電鉄「舞子公園駅」 南側 国道2号線沿い 徒歩約5分
| 近郊の見所 | 移情閣 |
|---|---|
| 明石海峡大橋 |
文:吉崎 敏男





































