般若山光山寺と光山寺山― 神戸市北区大沢日西原 ―

般若(はんじゃく)山と号する光山寺(こうざんじ)は光山寺山にあり、境内からの展望は六甲の山々や田園風景を一望できる景勝地である。光山寺山は、大沢 町の中央、標高293mにそびえ立ち、北方に有馬富士、花山院、西方には播磨の書写山、廣峰(ひろみね)山、東南方には六甲山麓にひろがる有馬温泉郷を眺 望できる。「太陽と緑の道」ハイキングコースになっており、一帯が市民公園に指定されている。近くには、高さ15mにも及ぶ天狗岩、室町後期の貴重な様式 を伝える豊歳神社などがあり、田園風景を楽しみながら散策できる。
この寺は昔、七堂伽藍(しちどうがらん)の大きな寺であったが、羽柴秀吉が天正8年(1580年)に三木城を攻略し次いで淡河弾正忠(おうごだんじょうた だし)を討伐した際、兵火に遭いことごとく灰燼(かいじん)に帰してしまった。ところが、不思議なことに灰燼の中から観世音菩薩尊像が、こうこうとして出現したのである。さっそく、安置するため仮堂宇が建立され、慶長9年(1604年)には、信者によって堂宇が建立、さらに村民の浄財により、改築のため文 化8年(1811年)に堂宇が再建された。

その後、明治維新の廃仏毀釈の際に泉養寺の堂宇が取り壊された本尊地蔵菩薩尊像が合祀されることになり、明治27年には、管理上の理由ということで光山寺 堂宇が福厳寺境内に移築された。信徒から両尊像が小さな堂宇に幽閉合祀されているのは堪えられないとの意見が噴出し、村民や信徒の寄進により昭和5年に、やっと元の光山寺山に移築され共に祀られた。
またもや、昭和36年に清掃の際の失火で堂宇が炎上し消失したが、両尊像は無事避難され難を免れることができた。再び福厳寺内に仮安置されることになったが、平成3年に光山寺山に堂宇が再建、祀られ現在に至る。
「大沢町誌より」
文 堀内 昭
| 関連サイト | 六甲連山を望むみち |
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| 交通 | JR三田駅から渡瀬方面行(神姫バス)で大沢下車 2km |





































