丹生山― 裏六甲 ―

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神戸電鉄箕谷駅前から市バス衝原行きに乗って丹生神杜前で下車すると、そこが丹生山の登山口である。石の鳥居を過ぎ真っ直ぐ行くと右側に丹生宝庫がある。 丹生神杜の神宝が納めてあるという。ここに山頂まで2.8㎞の標識がある。やがて道の左右に丁石(一丁ごとに距離を示した標識)が立っている。
廿四丁(にじゅうよんちょう)(約2.6km)から姶まっているので数えながら歩くと足がはかどる。十二丁(1.3km)のところに地蔵様がまつられてい る。これを左に曲がると表参道、真っ直ぐ行くと裏参道である。裏参道の方がすこし楽なようであるが、あと1キロだから表から行こう。山頂に着くと無人の丹 生神社かあり、ここから播州平野が一目で見渡せる。

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丹生というから昔はここで丹(水銀の鉱石、辰砂ともいう)が採れたのであろう。神功皇后がここで丹を採ったといわれている。明治以前はここに明要寺という 大きな寺があった。伝説では百済の王子が仏教を伝える為日本にやってきて、明石に上陸しここに丹生山明要寺を建立したという。平安末期に福原遷都を行った 平清盛はこの山を比叡山になぞらえ、王城鎭護を願って山上に山王日吉(さんのうひえ)神杜を祀った。
中世には明要寺は大いに栄え多数の僧兵をかかえ軍事上の一大拠点となっていた。戦国時代には三木の別所氏と結び、秀吉の三木城攻めに際しては大いに抵抗し た。花隈、再度山、谷上、丹生山、三木という補給ルートがあったため三木城はなかなか落ちなかったといわれる。ついにしびれを切らした秀吉は丹生山の焼き 打ちを命じ、1579年明要寺は消失してしまう。数千の僧俗が焼殺されたが、その時殺された稚子たちをのちに村人が葬ったのが稚子ヶ墓山である。

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明要寺はのちに秀吉によって再興されたが、明治の廃仏棄釈によって廃絶され、日吉神社が丹生神社と改められたという。
帰路は今来た道を戻ってもいいが縦走路にしたがって帝釈山まで行くのも良い。帝釈山から下りたところが428号線で、だらだらの下り道を1時間ほど歩くと谷寺口のバス停である。
文:廣川 幾雄
| 関連サイト | 丹生山・稚子ヶ墓山コース |
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