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ハンドメイドシューズ inコウベ




開港以来、様々な物が舶来する中で進んだオーダーメイド技術。その中でも突出して発展した神戸の靴産業。そんな“履きだおれのまち”と呼ばれるようになった経緯と神戸で活躍する靴職人の仕事を探る。

神戸の靴”の夜明け
匠の技に知る、靴づくり
次代の“履きだおれ”のまちを支える手

神戸の靴”の夜明け

1868年(慶応4年)神戸開港以来、外国人居留地などに住む外国人の靴の新調や修理を、当時の草履や鼻緒をつくる職人が従事したことに始まります。1885年〜1897年(明治17年〜29年)頃、多くの日本人靴工が技術の向上や一攫千金を夢見て渡米し、本場の技術を日本に持ち帰りました。その中の一人“平野永太郎”は6年間の留学後、1895年(明治27年)に地元神戸にて“神戸屋製靴所(店)”を設立、アメリカ仕込みの技術を活かし、オリジナルの靴木型を開発しました。

神戸屋製靴所(店)
創業者の平野永太郎

その高い技術を学ぶために、地方の靴職人たちが武者修行として集まり、こぞって技術を磨きました。神戸の靴工の技術力の高さから神戸の靴は、まず、高級紳士靴が発達し、大正時代には“神戸のブル型婦人靴(ブルドックの鼻のようにつま先が丸い婦人靴)”が人気を博したことから、「履きだおれ」のまち神戸として全国に名が広まります。また、靴への需要が高まる中、“神戸屋製靴所(店)”では“グッドイヤー式製靴機械”を日本で3番目の早さで導入、靴の量産への道を歩み出しました。一方、主に東灘区住吉地域を拠点に活躍していた靴職人の多くは、ハンドメイドによる高級靴の芸術性・技術力の向上に従事しました。
“グッドイヤー式製靴機械”を使って製造を始めた、神戸屋製靴所の様子。

その職人芸に達する技術力により、ブランドとしての神戸のハンドメイドシューズの名を全国に馳せることとなりました。1952年(昭和27年)頃からは、長田区に多く集まっていたゴムメーカが“ケミカルシューズ(合成皮など皮革以外で作られた靴)”製造を始めました。色やデザインの自由度が高いファッションシューズとしてのニーズが高まり、一時は全国の80%の生産量を誇りました。しかし、阪神淡路大震災の被害によって、長田区に集まる靴製造業者や東灘区の靴職人の多くが廃業に追い込まれた、「はきだおれ」のまち神戸の現状でもあります。


1898年(明治30年)頃の神戸屋製靴所(店)と元町商店街景観。看板には英語を使うなど、当時の外国人客を意識していたことが伺える。 日本全国から集まった、神戸屋製靴所工員の集合写真。中には技術を教えに来ていた外国人の姿も。

参考図書:佐藤栄孝(1971年)『靴産業百年史』日本靴連盟出版/
参考論文:西村克之 修士論文(2006年)「ブランド戦略の視点で検証する“老舗”企業の再建」
資料・写真提供:コウベヤ(株式会社 神戸屋)/URL:http://www.koubeya.co.jp/
※ 神戸屋製靴所(店)は現在、小売専門店“コウベヤ”に名称を変更し、創業111年の老舗店として、元町商店街内にて営業しています。
 

匠の技に知る、靴づくり

足に障害がある方の靴を専門とし、マイスターの称号も持つ、神戸の匠“中井 松幸”氏へインタビュー。生涯、靴に向き合ってきた職人の思いをご紹介します。


Q1>靴職人になったきっかけは何ですか。

「靴職人やった父親が4歳のとき亡くなって、それを母親が引き継いで甲革の部分を作る内職やっとたんや。小学校入学と同時に母親の手伝いをするようになった。それが靴の世界へのデビューやな。中学に入って靴の底を作る職人に弟子入りして、中学を卒業する15歳には独立したんや。もうすべての工程を習得しとったからな。」


Q2>当時はどんな方の靴を作っていたのですか。

「当時はオーダーメイドした靴を履く人はお金持ちの人だけやからな、そんな人の靴を作ったり、あとは鉄工所の工員さんの靴を作っとたんや。戦後には材料もそんなにないから、軍人さんの靴を作業靴に作り直すんや。他には宝塚歌劇団の衣装用の靴も作ったな。」

Q3>現在は、足に障害を持つ方の靴を作っているとのことですが、専門に作りはじめたきっかけは何ですか。

「はじめ足に障害を持つ人用の靴を作ったんは、17歳のときや。鉄工所の工員さんには足を怪我している人がおってな、そんな人が履ける靴を試行錯誤して作ったな。そこから作るようになったんや。今では、足に障害を持つ人のがほとんどや。ちゃんと合った靴を履けば、立てるようになるし、外を歩けるようにもなる。子供の中には、走れるようになる子もおるんや。」


Q4>“履きだおれ”のまちと言われる神戸ですが、昔と今で変わったところはありますか。

「前は東灘区に高級革靴を作る職人が300人近くおって、長田にもメーカがたくさんあったけど、震災の影響でみんな廃業してしまって、今、この辺りではわたし一人や。また、外国で作ったほうが安くできるようになったから、100%日本製の靴もほとんどなくなってしまったな。」

Q5>これから神戸の靴はどのように展開していく必要があるとお考えですか。

「職人やメーカーが協力し合って技術を磨いていかなあかん。値段の安さを競い合うのではなく、材料や技術で競い合っていかな。本当にいい材料を使って、いつまでも履ける靴を作ることが大切や。あとは、靴作りの工程の中で自分が得意なものを1つ持つことやな。」


Q6>最後に中井さんが靴職人として心がけていることをお聞かせください。

「あれや。(壁に飾ってある額縁を指差して)“今日は昨日の自分を越そう”。いろんな障害を抱えた人も、楽に歩いてもらって、喜んでもらえる靴を作るため、今もまだまだ勉強中やな。」

<中井松幸氏受賞歴>
昭和62年 神戸市優秀技能賞/平成5年 神戸マイスター認定/平成6年 兵庫県技能顕功賞/ 平成7年 神戸市技能功労賞/平成10年 卓越技能章(現代の名工)/ 平成12年 グッドデザインひょうご大賞/平成12年 黄綬褒章

<中井松幸氏の工房/注文靴 靴の中井>
住所:神戸市東灘区住吉宮町1-20-10/電話:078-811-9453
URL:http://www.kutunonakai.com/
 

次代の“履きだおれ”のまちを支える手

高級紳士靴の本場イタリアで、3年間靴作りを学んだのち、神戸市長田区に自身の工房“スピーゴラ”を構える、“鈴木 幸次-すずき こうじ-”氏へインタビュー。靴のまち神戸で活躍する、若い職人の仕事をご紹介します。


Q1>靴職人になったきっかけはなんですか。

「父親が靴のレディースシューズのパタンナーで、高校を卒業してから父の下でパターンの勉強をはじめました。その後、イタリアに渡りデザインスクールで勉強していたのですが、フィレンツェの靴職人である“ロベルト・ウゴリーニ”に出会い、彼の下で3年間学びました。」


Q2>留学する前からこのような(鈴木氏の作る靴は“クラシックタイプ”と呼ばれる高級紳士靴)靴を作りたいと思われていたのですか。

「いいえ。考えていませんでした。イタリアで留学中にこの“クラシックタイプ”の靴に出会ったんです。こんな靴があるのかとすごく衝撃を受けました。それからは、昼も夜も一日中靴のことばかり考えていましたね。」

Q3>帰国後、長田区に工房をお持ちになったとのことですがその理由はなんですか。

「神戸か東京に工房を構えたいと考えていたのですが、父親が長田にある工房で働いていましたので、しばらくはそこを間借りしていたんです。そこのすぐ隣に3年前、今の工房を作りました。自然の流れでそうなったという感じです。靴の世界に入ったのも近くにそんな環境があったからかもしれませんしね。今でも難しいパターンなどは父に手伝ってもらっています。」


Q4>靴作りに対し、日頃から心がけていることや重点を置いているところはなんですか。

「お客さんに似合う靴を作るために、採寸やデザインの希望を聞くだけでなく、仕事や年齢、趣味などのお話を伺いながら、その方にあった靴を考えています。また、年に2回程フランスやドイツを歩き回って、良い革を買い付けに行きます。本当に良い素材、良い道具だけを使った靴を作っています。」

Q5>靴職人としての今後の目標はなんですか

「足にストレスが無く、履いていて楽しい気持ちになれる靴を作りたいと思います。また、他の職人さんが嫉妬するくらいかっこよく質の高い靴が作りたいですね。いつかは、完成した靴を見たら私が作った靴だとわかるような、オリジナルの木型を生み出したいと思っています。」


Q6>神戸のまちを拠点に世界に目を向けて活躍されていますが、今後の展開をどのようにお考えですか。

「弟が靴を学びに留学しているのですが、いつかはここで一緒にできればと思います。また、ニューヨークなど世界に向けても展開していきたいと考えています。」

<鈴木幸次氏の工房:スピーゴラ>
住所:神戸市長田区細田5-2-16/電話:078-641-1343 /
スピーゴラ関連ページURL(石田洋服店HP内):
http://www.oshitate.com/products/other/spigola/spigolashoes.htm
※スピーゴラのオーダーメイドシューズは“石田洋服店”からもご注文いただけます。
※2007年11月現在、ご注文〜納品まで8ヶ月待ちになります。